『珊瑚集』ー原文対照と私註ー
永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。
アルチュール・ランボー
原文 荷風訳 Sensation Arthur RimbaudPar les soir bleur d’été, j’irais dans les sentiers,
Picoté par le blés, fouler l’herbe menue :
Rêveur, j’en sentirais la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.
Je ne parlerai pas, je ne penserai rien :
Mais l’amour infini me montera dans l’âmes,
Et j’irai loin, bien loin comme un bohémien,
Par la Nature, - heureux comme avec une femme.
(Poésies)そぞろあるき アルチュウル・ランボォ
蒼き夏の夜や
麦の香に醉ひ野草をふみて
小みちを行かば
心はゆるみ、我足さはやかに
わがあらはなる額、
吹く風に浴(ゆあ)みすべし。
われ語らず、われ思はず、
われただ限りなき愛
魂の底に脇出るを覚ゆべし。
宿なき人の如く
いよ遠くわれは歩まん。
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。
註
『珊瑚集』にただ一つ収録されたランボーの詩です。岩波の解説によれば、荷風がフランスにいた頃、ランボーは今日ほど有名でなく、荷風はこの詩を「ワルク の詞華集」から引用したものでランボー単独の詩集を持っていなかった可能性もあるとのこと。確かに荷風が読んだフランス文献リストを探してもランボーの詩 集は載っていません。でも荷風が選んだこのランボーの詩は、のびのびしていてなかなか良いものだと思う。ボードレールの「気持ち悪い」言葉より日本人好み じゃないかしら。
「恋人と行く如く心うれしく」なんて書いてあるので単なる「恋愛願望」の詩かと思えてしまうのですが、小林秀雄によればそれは間違っているとのことです。 小林によれば「ランボーには色情詩はあっても恋愛詩というものは一つもありません」とのこと。「彼はいつも血腥い絶対糾問者でありました。命をかけた詩作 さえ、馬鹿馬鹿しい愚考とみえた彼の眼に、恋愛とは一体どの位やりきれない汚物とみえたか、私がここで語るも愚かでありましょう。」と小林秀雄は語ります (「アルチュル・ランボオの恋愛観」)。もっと「上等の」感情を詠ったものなのであります。はい。
ちなみに林芙美子は荷風の『珊瑚集』をぼろぼろになるまで愛読したとのことです。このランボーの詩からも影響を受けなかったわけはない。下の詩は林芙美子 の『蒼馬を見たりー自序』の最初ですが、似ていると思いませんか?
ああ二十五の女心の痛みかな!
細々と海の色透きて見ゆる
黍畑に立ちたり二十五の女は
玉蜀黍よ玉蜀黍!
かくばかり胸の痛むかな
二十五の女は海を眺めて
只呆然となり果てぬ。
今般出た川本三郎『林芙美子の昭和』は良書です。庶民の目から見た昭和という時代が、戦前戦後の連続性も含めて、非常によく描かれています。靖国問題の理 解にも繋がります。さすが東大法学部だけあるなあ、川本三郎。
余丁町散人 (2003.2.17)
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訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)
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